どんたくも終わって端午の節句ですなァ。
ちょっとなかなか更新できないけど。鯉のぼりの唄でも。
こっちの方がいいような気がして。
どんたくも終わって端午の節句ですなァ。
ちょっとなかなか更新できないけど。鯉のぼりの唄でも。
こっちの方がいいような気がして。
こぶしの花が咲きそうな感じの季節になってきました。
2月の終わりころはこんな梅花があったんですけど。



短めであれなんですが。この辺で。
前回、長崎ランタンの写真を眺めてたら面白いものが出て来たので、ランタンは終わりましたけどもついでだから載せておこうかなと思います。
往時の長崎の外国人居留地は隔絶された感じになっていて、出島なんかはいい例ですね。耶蘇教の西洋人は出島に隔離されていて、宣教師を派遣するポルトガルから離れ、後に宣教の意向の少ない阿蘭陀と交易する様になったやに聞いています。
華僑の人は、宣教とはかかわりがなかったようで出島ではなく。近くの波止場近郊に居留地がおかれていました。現在の長崎中華街?はその一部らしく、以前はかなりの敷地であった様です。

居留地の四隅に石碑がありおおよその範囲が分かります。石碑の向こうの石橋は居留地を隔離するための濠の名残です。勿論、斜面なので小川になっていますが・・。

こんな感じですね。
その居留地の中に媽祖廟などのお堂が現在4カ所残っています。
その中の一つが福建会館。
動画は、人様のものを利用させていただきました。ここの柱聯に当時の華僑の人たちの気持ちが残っています。

右の柱聯には。
「海外叙郷情、難得扶桑如梓里」

左には。「天涯崇廟祀、況承慈蔭到蓬瀛」
説明がありました。

ちょっと分かりづらいでしょうか?
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福建会館天后堂の柱聯
「海外叙郷情、難得扶桑如梓里
天涯崇廟祀、況承慈蔭到蓬瀛」
読みは、
「海外(カイガイ)に郷情(キョウジョウ)を叙(ジョ)すれば、扶桑(フソウ)には梓里(シリ)の如きを得難し。
天涯(テンガイ)に廟祀(ビョウシ)を崇(アツク)くすれば、況(ココ)に慈蔭(ジオン)を承(ウ)けて蓬瀛(ホウエイ)に到らん。」
郷情 故郷の有様。
叙 述べる。並べる
扶桑 日本のこと。
梓里 ふるさと。故郷。
天涯 天のはて。極めて遠いところ。
崇 厚くする。さかんにする。
慈蔭 大慈悲を蒙むること。
蓬瀛 蓬萊(ホウライ)と瀛州(エイシュウ)の二仙山。
東海にあって神仙が住むといわれた。
大意
海外の日本の長崎で、故郷福建の有様があるかどうかとなると日本の長崎では似たものは見出せない。
しかしこの最果ての長崎で媽祖廟の祭りを厚くすれば、媽祖の慈悲を受けて、長崎が蓬萊・瀛州のような神仙境となり幸せな暮らしができるだろう。
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扶桑が日本って直ぐ分かりますが。桑ということは機織りものと大きく関係していたのかも知れないですね。
瀛州は知りませんでしたけど、蓬萊は蓬莱軒とか中華料理屋を思い出しますね。なので中華関係と昔は思っていたのですが、東海にあるって彼らが思っていたと言うことは、実は日本の事だったのでしょうね。長崎もその一部だったのですがその様にはちょっと・・・。
しかし、彼らの子孫は4,5百年間も暮らせてたってのはやっぱり蓬莱だったと思います。
そういえば以前、三島 明先生のブログにコメントしてた時、蓬莱山って唄がありますよ「メデタヤナァ~・・・」って。そんな応答してもらってから気にはなっていたんですがその唄が。それはまた別の機会に。
因みに、三島先生は現在「大人の古事記講座」を開設中。本当の歴史を知るいい機会になると思います。
http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/
唐人屋敷の華僑達の長崎が蓬瀛の地であれとの願いは、もしかしたらもう叶っていたのかも知れません。

福建会館天后堂とお月様。
節分も終わったし、もう立春なんだけど寒いですね。長崎ランタンどうなってるかなとHP見ると来週の月曜日までですね。今年は行けないから以前のものを。

冷静に考えるとランタンが灯るだけだし、何か全て中華風なのがどうかなと思うし、尖閣問題以降何か白々しさも感じるけど、ま、季節ものだし・・・・。ただ、商業的でない以前の大げさなものじゃなかった頃が懐かしくもありますね。

観光客がどうあろうが自分達の中での風物詩的なものが、かえって観光客を自然と誘うと思えます。

このランタン、中国からの輸入品らしいです。領事館があるからかなと思ったけど華南のものみたいですね。もともと福建の華僑の人が多いみたいですから。

ランタン自体が昔の照明だからか、ちょっとタイムスリップしたような感じになるこのイベントも、そんな雰囲気を楽しむのにもいいかもしれません。
正月はおろか旧正月まで過ぎましたね。今年は早いんです。早いとか遅いとか・・・あるんですね。長崎灯會が始まっているのでもう過ぎてます。23日からでしたね。
この時期、ネットで良く見かける花がありますが自分も見かけました。初詣の時に見たんで少し前になります、主張の強い木花ではないのであっても気がつかなかったりしてるのだと思いますけど、同じ神社の境内で何時もこの時期に咲いてます。

札に説明があるので蝋梅と分かるのですが他で見かける蝋梅の花のように蠟って感じは少ないですが・・そうなのでしょう。黄色い梅の花って感じです。

参拝の時間がアレなのか何時も独り占めできます。裏手にありますからそこまで回らない方も多いのでしょう。
ここの花は回りに溶け込んでいる感じですので分かりにくいし・・花だけは知っていても「木」全体がですね、分からなかったり。

こんな木です。左下に蝋梅って書いてあります。これがないとなんの木だかずーっと知らなかったでしょう。
初詣に行くたび何時も花咲かせてくれているこの木、咲いてるかが気がかりで来年もまた訪れると思います。
夏からこちら、あまり出歩かなかったなァ。と言う訳であまり写真も無い。ちょっとまえ愛宕神社へ運動もかねて上ってきた。

上る途中、飯盛山から陽が落ちていたのが神々しくてちょっと一枚。手前の鳥居は音次郎稲荷の鳥居です。

愛宕神社の背面から。雁ノ巣辺りかな。右の三山は立花山?香椎宮の辺りと思います。
高層ビルって風景的にちょっと残念なものになりますね。

奥の山は油山。奥手はレーダーサイトのある1000メートル級の背振山。今年こそ油山に登ろうと思っていたんですが・・・なかなか難しいですね。来年こそ・・できればですケド。良き新春でありますように。
まーた、間が開いてしまったけど。世の中色々ありますね。中東でも色んな国の元首クラスが亡き者にされていった一年でしたが、朝鮮半島も大変そうですよ。良からぬ事が起きなければいいんですけど。
ところで若宮稲荷の祭2です。10月のことなんですけどね。
神社はこんな感じ。

この辺も岩場なので、岩盤に沿うように神殿へと上っています。若宮稲荷大明神の幟があります。大明神なんですね。その右手に銅像がありますが、坂本龍馬らしいです。いつの間に建ったんだろ。亀山社中跡がこの近くにあるらしいから来たことがあると言うことなのかな。右のブルーシートで痛々しい屋根の家屋でそれ関連の催しをやっていました。
祭りの出し物はこれ。

竹ン芸ですが、最初に小学生未満の子供が行います。この子も蒔物をくれますよ。とは言っても近くでないと・・。
次に小学生くらいの子。そして若者が行います。

狛犬のキツネ様も見守っておりました。

先に女キツネそして雄キツネの順に上ります。

とまああわせ芸とかあります。それぞれの形に名前がある様なのですがそれはちょっと覚えておりません。
これ、結構高い所なのですが命綱無いですからねぇ。腰のところに赤く見えるのはキットお守りですね。

終盤にこうやってキツネ様からの蒔物があります。危険な?芸にハラハラしながら蒔物の墜ちる先に目がいきますから面白い物です。
で、蒔物の最後はこれ。

鳥ですね。生きてます。鶏なので若干滑空して墜ちてきます。これを受け取るととても幸運らしいですよ。
この芸は昔からあるのか分かりませんけど、長崎の津に使いがやってきて、最後に高天の使いの鳥を紹介してるような気もしますね。分かりませんけど。

最後に・・先ほど演じていた子キツネ様でしょうか。手を合わせました。この子も大きくなったら・・こうやって引き継がれるンでしょうね。この芸はどうも、とある一族でのみで引き継がれているようでした。
ちょっと長くなったので終わります。
カメラを持って出かけることも少なくなり、ちょっと時事にも疎くなってしまってなんにも書けないなァと思いますが、若宮稲荷の秋祭りを少しだけ見に行ったのでその時の様子でも載せます。
長崎の若宮稲荷は、知らないと、どこからアクセスするのか分かりづらいのですが、龍馬伝のおかげか亀山社中跡が近くにあって観光客の方がよく知っていたりします。

これは関係無いですけど、近くの寺町辺りで銀杏の大木があったので。

これは最初の鳥居にだいぶん近づいたあたりで。水神宮の碑が駐車場の中に・・・駐車は難しそうですが、是非残してもらいたいものです。伊良林町下ノ切ってありますね。若宮稲荷も伊良林です。たぶん。

ここが登り口ですね。お祭りの関係か、装飾がありました。右の燈籠は150年くらい前のものらしいです。

階段横は川があってコンクリートで欄干風にしてあります。その欄干の擬宝珠です。苔が生すと落ち着いた雰囲気になりますね。欄干がやや臙脂色なのは元は朱色だったのかも知れません。

声をかけられたと思って振り返ったらネコがいました。この辺も古い長崎の道に残る石畳ですね。表面に鑿の痕が残ります。

緑と鳥居の赤が綺麗だったもので・・。花が咲いてました。

随分登りますよ。でも、とても良く整備されています。

これを進んで左手が神社です。お祭りのために結わえられた飾りの緑が大切な時であるのを知らせてくれます。
で、長くなったのでこの辺で。
もう手袋が欲しくなるほど寒くなったけど、あんまり出かけてないし。もう暫く見る事も無いかも知れない長崎くんちの後日の様子でも載せます。

御旅所を出発した御神輿は、坂の向こうから上ってきて一旦休憩し、列を整えて再出発した所です。

列の前に「曳竹」ってあるんですけど、子供の頃はこれが不思議だったです。音がズズーとするだけなんですけどね。

その直後に、鉾をもった天狗様が行列を率いて行きますが、この方が猿田彦と知ったのは最近の事です。

とまあこうやって行列は続いて行きます。この後もありますが・・・省略。
一方、演し物の街回りは夜まで続いておりまして。

阿蘭陀船もあったりしまして。シャギリ?と別の船の音楽が変わっていてちょっといいんですね。

御座船ですね。川船もありましたけど。本古川町って「もとふるかわ」って読むんですね。現在の行政区と異なっている町構成も多いようです。

コッコデショの陽が落ちる前のもの。夜遅くまでこれを追いかけていた人が多かったなァ。ホーラーエーって声が聞こえたら幸運です。もうこの辺にしておきます。
by viwa
はや五月